ずっと腕の中

ある大阪在住のご家族が東京ディズニーランドに旅行にいかれたのは今から14年前でした。
 
当時中学生だったご家族の一人娘さんはディズニーランドを満喫し、大阪へと帰る日に何気に立ち寄ったペットショプで産まれたばかりのアメリカンショートヘアーの赤ちゃんに釘付けになりました。
 
その仔猫をひと目みたそのときから、運命を感じるくらい強い絆が生まれ、言葉では言い表せない強く優しい力が娘さんを包みこみました。
 
この感覚は、ペットとの最初の出会いの中で生まれる絆の誕生の瞬間であり、これだけは経験した人にしかわからないものだと私は思っています。
 
「この子がほしい。うちに連れて帰る」娘さんは両親にそう言いました。
 
両親は娘さんの気持ちは理解できたものの
「今から新幹線で2時間以上かけて帰るのに仔猫も大変でしょ」
「大阪にもペットショップはいくらでもある。どうしてもほしいなら大阪で探せばいい」
おそらく、そのような言葉で娘さんを宥めたことだと想像できます。
 
でも娘さんは「アメリカンショートヘアーの仔猫がほしいんじゃないの。この子だから言ってるの」
そう言って譲らなかったそうです。
 
幾度か、このようなやりとりの中で、娘さんの強い意思を受け止めたご両親は、最終的に快く了承したそうです。
 
娘さんは子供の頃から貯めていたお小遣いを全額出して仔猫ちゃんをショーケースから出してあげました。
 
初めて娘さんに抱かれた仔猫ちゃんは手のひらに収まるほどの大きさでした。
 
東京で生まれた仔猫ちゃんは娘さんに抱かれたまま新幹線に乗って、生涯を過ごすことになる大阪に向いました。
 
仔猫ちゃんは「マロン」と名付けられ、その日から家族の一員になりました。
 
その後、マロンちゃんは大阪の生活にもすぐに馴染み、すくすくと成長し、その成長を見守るなか、中学生だった娘さんも成人になり、そのころにはマロンちゃんは家族にとっても、なくてはならない存在になっていました。
 
その間、楽しいことばかりではなく、娘さんのお父さんが病気で亡くなるという悲しい出来事もありましたが、マロンちゃんは家族として、それらの出来事も一緒に経験し、時には家族の心の支えとなって過ごしていました。
 
娘さんが最初にマロンちゃんと出合ったのは中学生だったのですが、マロンちゃんが大阪に来てその年齢と同じ年月分が過ぎようとしていたある日、家族はマロンマちゃんは異変に気づきました。
 
娘さんはマロンちゃんを病院に連れていき、主治医の医師からマロンちゃんの体は家族からお父さんを奪ったのと同じ病気、癌に犯されていることを伝えられました。
 
癌の宣告をされたその日から、マロンちゃんのご家族は可能な限りの治療を施したのですが、病魔と年齢には勝てずマロンちゃんは15歳の誕生日を迎えることなく息を引き取ったのです・・・
 
息を引き取ったのは新幹線で大阪に向かってきたときと同じ場所、娘さんの腕の中でした・・・
 
 
娘さんのお母さんからマロンちゃんの家族葬のご依頼を受け、私とスタッフ2名で向かうとき、たまたま会社に居合わせた、この日、非番だった猫好きのスタッフF君(※当ブログ{スタッフF君の決断}を参照)が「猫の家族葬なら同行させてください」と言ったので3名で向かうことにしました。
 
深夜に差し掛かる時間帯であったので、私とF君は業務車を依頼主様宅の少し手前のコインパーキングに駐車し、徒歩で向いました。
 
セレモニーに必要な火葬車だけをもう一人のスタッフが運転し、お約束の時間の少し前にご自宅に到着しました。
 
玄関先で娘さんと挨拶を交わし、マロンちゃんが眠っている部屋に通され、3名のスタッフと共にマロンちゃんに手を合わせた後、セレモニーの準備に取り掛かりました。
 
準備をしている、その間もマロンちゃんは数え切れないほどの鈴蘭の花を散りばめたベットではなく、頭を娘さんの左肩にのせた状態でマロンちゃんの指定席である娘さんの腕の中にいました。
 
そしてセレモニーの準備が整い、娘さん自らの手でマロンちゃんを祭壇に運ぶとき、一度はマロンちゃんを抱きかかえ立ち上がったものの、祭壇の前まで来たとき力なく座り込んでしまい、泣き崩れてしまいました。
 
部屋が悲しみの空気に包まれる中、数分が過ぎた頃、我々を気遣ってか、お母さんが娘さんに「早く寝かせてあげなさい」と促すように仰りました。
 
お母さんのお気遣いも痛いほど伝わった私は部屋からお母さんを呼び出し
「我々のことは気にしなくて構いません。いくら遅くなってもかまわないので、そのタイミングは娘さんに決めてもらいましょう」と言いました。
 
我々が到着してから終始、気丈に振舞っておられたお母さんも、この時は目に涙を浮かべ「どうもすいません。ありがとうございます」と深々と頭を下げておられました。
 
お母さんと部屋に戻ったとき、娘さんは祭壇の前でマロンちゃんを抱きしめたままの状態でしたが、生前のマロンちゃんのお話を私が伺ったときは顔を上げ、丁寧にお話してくださいました。
 
その後、娘さんと、お母さんと、葬儀に参列されていた娘さんの友人を交え我々に先に書いたマロンちゃんとの出会いから今日までのお話を聞かせてださりました。
 
娘さんはマロンちゃんのエピソードを語るにあたり、時折、笑顔を見せることもあったのですが、すぐさま悲しき現実に引き戻され、涙が途切れることはありませんでした。
 
娘さんは「それでも最後のとき私の腕の中でマロンを逝かせてあげれてよかった」と言い、気持ちを奮い立たせるように立ち上がるとマロンちゃんを祭壇の上に運び、ゆっくりと優しく寝かせました。
 
セレモニーが始まり、我々スタッフ3名もご焼香させてもらい、マロンちゃんは娘さんと友人の手により出棺され玄関を出て自宅横にとめた火葬車の中におさめられました。
火葬炉の扉を閉めるとき、娘さんはもう一度、両手でマロンちゃんを抱きしめていました。
 
火葬炉の重く冷たい扉が閉まりマロンちゃんは家族の用意された鈴蘭の花と一緒に火葬炉に入り長年住み慣れた自宅の脇で家族が見守る中、天に召されました・・・
 
 
 
東京で生まれ、娘さんの手のひらに抱かれて大阪に来て、その大阪で両手でないと抱きかかえれないほど大きく成長したマロンちゃんは天へと召された今、お骨となり、また手のひらのに収まるほど小さくなりましたが幸福な一生だったに違いありません。
 
なぜなら、出会ったときから最後を迎えたとき、そして天に召されるその間際から召された後も。
 
ずっとずっと運命の人の腕の中にいたんだから・・・
 
 
 
 
 
 
 

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