その日

以前、弊社で家族葬を執り行った、あるペットちゃんのご葬儀に読経に来ていた僧侶さんがご遺族の方々に「動物は死期が近いことを自覚したときに、臨終の日を自分の意志で決めることができるのです」と言っておられました。
 
つまり、不慮の事故により訪れた、突然の死でない限り、2~3日程度なら「その日」を選んで逝っているという内容でした。
 
根拠もないような話ではありましたが、その時のセレモニー担当として遺族の方々と一緒にご僧侶さんの説法を聞いた私は妙に納得したような記憶があります。
 
なぜならば、このような仕事をさせてもらってる立場上、ペットを亡くされた人たちにペットちゃんたちの最後の状況を聞かせてもらうことも少なくなく、そのような話を聞いてると、まさに「その日」を選んで逝ったとしか思えないようなことがたくさんあるからです。
 
「東京で働いている息子がお盆に帰省した日に・・・」
「怪我で入院していた主人を待ってたかのように退院したその翌日に・・・」
「娘が修学旅行から帰ってきた日に・・・」
 
数えればキリがないほど、そのような話を耳にします。
 
 
初冬にしては暖かで過ごしやすかったある日、四条畷市のヨークシャー・テリアのラムちゃんが永眠しました。
 
ラムちゃんは幼少期から癲癇の持病を煩っており、そんなラムちゃんを気遣いながら飼い主様ご家族はとても大切に育ててこられました。
 
寒さが苦手で病弱だったラムちゃんでしたが、温かい家族の元、成犬に成長し誕生日も13回迎えることができました。
 
ところが今年に入り大病である腎臓病を煩ってることが病院により判明し、6月に手術をうけることが決まりました。
 
13歳という高齢に加え、決して体が丈夫でなかったラムちゃんにとって、腎臓病の手術は過酷なものだったと思われますが、ラムちゃんは見事に大手術に耐え、術後も順調に回復し、夏になるころには元気な姿を取り戻したのです。
 
 
秋が過ぎて冬になり「これでまたラムちゃんと新しい年を迎えることができる」と家族が思っていた矢先、ラムちゃんの容態は急変し、その後、回復することなく、家族の願いが届かないまま13年の犬生に幕をおろしました・・・
 
ラムちゃんのセレモニーを担当したスタッフから、その報告を受け、ご家族の方々が相当しずんでおられたことを聞き、少し気掛かりになった私は、セレモニーから二日後、ラムちゃんのご家族の自宅に電話しました。
 
お電話に出られたのはご主人さんでした。
その旨、気掛かりになったことをお伝えするとご主人さんは「わざわざありがとうございます」と丁寧に応対してくださり、悲しみから開放されていない中にも関わらず逆に私を気遣ってくださいました。
 
その会話の中で私は「ラムちゃんは暖かな日に亡くなりましたね。翌日から急激に寒くなったので、寒いのが苦手なラムちゃんにとって、暖かな日に見送ってあげれたのは、せめてもの救いだったと思います」と言いました。
 
こんな言葉がペットを失った家族にとって、何の励ましにもならないことは、長年の経験上、承知の事実ではありましたが、私たちはに毎日のようにペットの死に立ち会うと同時に、残された家族とも向き合う仕事をしてる立場上、先立ったペットちゃんの気持ちを自分の思いに重ねてお伝えすることも、我々の大切な役割だと思っております。
 
ラムちゃんと一緒に新年を迎えたかったという家族の悲痛な願いは叶いはしませんでしたが、今年の冬は例年以上に寒さが厳しいと聞きます。
 
臨終の「その日」が僧侶さんが言ったようにラムちゃん自身の意志によるものだったら、寒いのが苦手なラムちゃんは暖かなその日を選んで逝ったのかもしれない・・・
 
ことの真意はラムちゃんに聞かない限り、わかりませんが、私には
 
「これ以上、家族の負担になってはならない」というラムちゃんの想いだったような気がしました・・・
 
ラムちゃんのご家族がラムちゃんへの思いとラムちゃんの想いを胸に新たな気持ちで新年をお迎えできることを切に願っております。
 
 
 

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