亡くなったペットを剥製にする人の真意とは
弊社プレシャスコーポレーションは亡くなったペットを剥製にする「剥製葬」を請け負ってる国内では数少ないペットセレモニー会社であります。
私の認識が正しければ、「剥製葬」に対応しているのは関西では唯一(※もしかすれば国内でも弊社しかないのではないでしょうか?)の会社だと思います。
剥製葬のご依頼は全体の1割にも満たないほど少ないものではありますが、亡くなったペットを剥製にされる人の数は年々増加の傾向にあるのは確かであります。
そのことは、過去にこのブログ{「剥製葬」という、もうひとつの弔いの形}で剥製葬についてお話させてもらいましたが、その時は剥製の賛否については個人の主観を抜きにお話させてもらいました。
今回は、剥製について私なりの考えをお伝えしたいと思っております。
まず弊社の葬儀のご依頼の9割以上は人間同様火葬であります。
自宅庭にある程度のスペースがある場合、そちらに土葬される方もいらっしゃいますが、亡くなった姿のまま土葬される方は、ごく僅かで、ほとんどの場合、火葬の後、遺骨のみを土葬されます。
私も、弔いの形としては、火葬にせよ、土葬にせよ、最終的には土に還すことが最も自然で、最良の方法だと認識しております。
では、亡くなったペットを剥製にしたいと思われる人の真意はどこにあるのでしょうか?
私が初めて「ペットを剥製にはできないのですか?」と相談を受けたのは18年ともに過ごした猫を亡くされた京都府にお住まいの高齢のお一人暮らしの女性。Yさんからでした。
通常の家族葬と火葬のご依頼を請け、Yさんの自宅を訪問した私は「え?剥製ですか?」と驚きましたが、理由を尋ねたところ
「焼くなんてかわいそう」と仰られ、寝室に置いてある座布団を指さし
「この子(猫)はいつもそこに座っていたの。朝起きたら、毎日そこで私の傍に居てくれたの。だから私はこの子がそこに(座布団)に居てくれてるだけでいいの。それ以上は何も望まない」と涙ながらに私に訴えたのでした。
私は「いずれにせよ私は葬儀会社の人間ですので、剥製のことは専門の人に聞かないと何ともいえませんが・・・」と、その後、言葉に詰まりましたが、「出来ないことはないと思います」と答えました。
話の流れで急遽、その日はYさんの自宅にあったタウンページで京都府にある剥製業者の連絡先を調べ、Yさんに伝えました。
結局、猫の火葬はせずに半信半疑の状態でYさん宅を後にしましたが、会社に帰る車内で私はYさんが言った「そこに居てくれるだけでいいの」という言葉だけが妙に胸に残り、何ともいえない不完全燃焼な気持ちのまま、車を走らせました。
正直、「剥製」と聞いただけで人間のエゴだと思われる人も少なくないと思います。
私自身もそう思っていました。
しかしペットの存在感は人によって違うものだし、Yさんのようにペットが傍にいるだけで心強くなり、孤独からも解放される人がいらっしゃるのも事実です。
実際、弊社が請け負ったご依頼で、火葬を取止め、剥製という選択をした人はYさんが初めてではありましたが、過去に火葬のときに、ほとんどの飼い主さんが「このままの状態でいられるなら火葬せずにおいておきたい」と仰っておられました。
私は、自分の考えを根本から見直す必要があるのではないかという疑念に苛まれ、帰社してすぐに、自身の疑念の真意を確かめるべく、ある方の所在を探しました。
その「ある方」とは、私が幼き頃、父に連れられて面会したことがある、「世界一」と謳われた剥製師さんのことです。
30年以上前のことなので、私のことを覚えていらっしゃるか不安ではありましたが、私は電話をしました。
しかしながら、電話を受けたのは、その方の甥にあたる一番弟子さんで、残念なことに、その方はすでに他界されたとお弟子さんから聞かされました。
私はお弟子さんに「剥製についてお聞きしたことがあります」と伝え、後日、お弟子さんにお時間をつくってもらい、アトリエに訪問することになりました。
そこで私はお弟子さんがの作品を見せてもらい、最近の依頼の大半はハンターが獲った獲物ではなく、一般の方からのペットの剥製依頼だということをお聞きしました。
アトリエには猫をはじめ、インコや文鳥。そして爬虫類から魚類まで、あらゆる種類のペットの剥製がありました。
お弟子さんは「確かに土に還すというのは、一番自然なことかも知れません。でも、こういう仕事をしてるから言うのではないですが、亡くなった後でも家族に撫でてもらったり、話しかけてもらうことは、ペットたちにとっても嬉しいことではないでしょうかね」と仰り、1枚の写真を私に見せてくれました。
写真には亡くなった犬ちゃんの剥製を囲む笑顔の家族の姿が写っていました。
その写真を見て、私の考えは固まりました。
私は現在ペットセレモニーの仕事に携わっておることをお弟子さんに伝え、「剥製葬」なるものを実現できないものかと相談しました。
しかし、お弟子さんは私の話を充分に理解したうえで、「出来なくはないですが、剥製というのは全て手作業で行うので数はこなせません。今でも手いっぱいです。悪いですが私には引き受けれませんね」と、きっぱりお断りされました。
ある程度、予想はしていましたが、お断りの返答を聞き私は少し落胆しました。
そんな私に気遣ってくれてか、話題を変えるような感じでお弟子さんは
「失礼ですが、師匠(叔父)とどういう間柄だったのですか?」という質問をされました。
私は、幼い頃に数度、お師匠さんのアトリエにお邪魔させてもらい剥製を見せてもらったことがあることを伝えました。
その話を聞いたお弟子さんは考え込むような顔になり「なんか、そういう親子がいましたね」と言いました。
お弟子さんは、当時、すでにお師匠さんに弟子入りをし、アトリエで修行をされていたそうで、父に連れられてアトリエに来ていた幼年の私のことを薄っすらと覚えてくれていたのです。
お弟子さんは「野村さんは、会社から近いからここに連絡をしたのではなく、師匠を知っていたから訪ねてこられたのですか?」と私に尋ねました。
私は「はい。そうです」と答えると、お弟子さんの顔が和らぎ、「そうでしたか・・・」と笑みをうかべました。
そこから話は亡くなった師匠さんの話で盛り上がり、時間を忘れ、ノスタルジックな思い出話にふけました。
そして最後にお弟子さんが「師匠がつないでくれた縁のある人だから一緒にやりましょう」と言ってくれたとき、涙が出るほど嬉しかったことを覚えています。
私とお弟子さんは固く握手をし、「剥製葬」実現に向け、第一歩を踏み出したのでした。
そして、その後、幾度となく、お弟子さんと打ち合わせをし、昨年から、少数ではありますが、ご依頼があった方のみ「剥製葬」を実施しております。
剥製が市民権を得るのは、まだまだ、先の話だとは思いますが、私が思うに、ペットを剥製にして残される方の数は増えていくように感じております。

